実はHELLP症候群を発症していた⁉私の出産レポート

子育て

妊娠・出産の話ってとてもドラマチックです。

出産を経験した女性が集まると、何かしらネタがあるという…

私の出産にもいろんなことがありました。

34歳、2年に及ぶ不妊治療の末授かった待望の第一子の出産レポートです。

ぜひご覧ください!

妊娠中

妊娠25週まではすこぶる順調でした。

初期に多少のつわりはあったものの、中期になると落ち着き「マタニティヨガしようかなぁ?」などとハッピー妊婦ライフをあれやこれやと想像していました。

しかしながら、26週の診察で「切迫早産の為、出来る限りの安静」を言い渡され、32週には入院することになりました。

入院は正産期の1週間前まで、1ヶ月間に及びました。

「切迫早産で長期入院」の話はわりとよく聞く話でしたが、「まさか自分が!」と思いました。

本当に予期せぬ事態でした。

入院生活の詳細はこちら⇩の記事をどうぞ!本当にいろんなことがありました。

退院後は正産期までは自宅でおとなしく過ごし、その後は特に行動は制限せず出産準備に明け暮れました。

赤ちゃんが生まれるまでに、大掃除をしなくては!!

そして退院から18日後、ついにその時は来ました。

出産

お腹の張りが治まらないような気がする…

前日深夜

夫婦喧嘩が勃発し、夫と別の部屋で寝ようするがイライラして眠れない…

今日ちょっと体調悪い気がする…

大丈夫?(とは言いつつもスマホゲームに夢中)

最近ゲームばっかりだよ。
やりすぎじゃない?

そんなことないよ。(と言いつつゲームに夢中)

― その後すったもんだあり、最後に… ―

このことは一生忘れんからな!

と言い放ち、リビングで快適に眠るために寝床を整えました。

しかしながら私の心の中は大嵐で一向に眠れません。

ゲームじゃなくてリアルを見てくれ!

こっちはもういつ生まれるかわかんないって言ってんのに、子育て始まっても仮想世界に浸るつもりかよ!

眠るのは諦めてYou Tube見てました。


3:00頃

「お腹の張りが治まらない?」というかすかな異変を感じる

プンプンしながらYou Tubeを見ていたのですが、お腹がずっと張りっぱなしだということに気づきました。

今までは、お腹が張ってもすぐに緩んでいましたので、「いつもとは違うのか?」と思い始めます。

本当にかすかな違いで、お腹の張りも弱かったです。

病院から渡された「こんな時はすぐ病院に連絡してねリスト」の中に「お腹の張りが治まらない(ずっと張りっぱなし)」というのがあったことを思い出しました。

たいしたことないような気もするけどなぁ

念のため電話するだけしてみようと思い、癪ですが夫を起こし事情を伝えました。

この時点でケンカはなかったかのようになりました。

そういうことってありますよね…

病院へ電話をすると「診察に来てください。」と言われたので、念のため入院の準備をして病院へ向かいました。

「ただ張りが引かない」という状況でしたので、私も大事に考えていませんでした。

世に言う出産の兆候は全くなかったからです。

診てもらったらすぐ帰れるでしょ。

赤ちゃんが無事か確認したら、家に帰ることになるかな?

なんとものんびりした夫婦は、暗闇の中病院へひた走りました。

まさかの入院!「えっ?今日産むの?」

5:00頃

全く実感が湧かない中で、出産のための入院を言い渡される

病院へ着くと分娩室へ通され、お腹の張りを機器で測定しました。

すると、自分では「そんなに強く張ってない」と思っていたのですが、数値的にはガンガンに張っていたのです。

ですが、お腹の痛みはなく「出産」への実感は全く湧きません。

赤ちゃんに異変はないと伝えられたので、「このまま家に帰るかな?」とこの時点でも信じて疑いませんでした。

しかし、助産師さんはおもむろに「ん。このまま入院かな。部屋準備するから待っててね。」と言い分娩室を後にしました。

素人にはわからない、プロの経験と技術を垣間見た瞬間です。

私は衝撃を受けつつも、「ついに来た!赤ちゃんに会える。」と高揚もしていました。


5:00頃

いつもより血圧が高い

助産師さんに「異変があったり、陣痛が来たら教えてね。」と言われ、それまでは個室で過ごすことになりました。

この時点で全くお腹は痛くなかったので、マタニティフォト的なものを撮ったりとのんびりしたものです。

陣痛が来ても間隔が短くならずにいったん家に帰る人もいると聞いていたので、これっぽっちも陣痛が来ていない私が本当に出産するのか不思議な気持ちでした。


ひとつ気になることがあり、それは、血圧がいつもより高く「145/92」だったのです。

私は低血圧で妊婦健診でも高くて「120/80」でしたので、助産師さんも気にしているようでした。

いざ分娩室へ


6:00頃

夫婦2人の孤独な戦い

ズキっと突き刺すような痛みを感じるようになりました。

おぉー。本当に陣痛来たわ。

すぐに分娩室に移動すると、隣の部屋からうめき声が聞こえてきます。

同志が既に出産に向けて走り出しているようでした。

一方、私は「お腹の張りが治まらない場合、胎盤が剥がれる可能性がある」ということで、念のため医師にエコーで診てもらいました。

結果、問題はないとのことで、このまま予定通り自然分娩に挑みます。


ここから夫婦2人の孤独な戦いが始まります。

時は明け方、日勤の助産師さんの出勤もまだで、同時期に産気づいた妊婦が2人

たまに、助産師さんが私の子宮口の様子を診ては「うーん、どっちが早いかなぁ?」とつぶやいていました。

地方の個人病院なので、同時にお産に割けるスタッフがおらず、「こっちの方が早く生まれるぞ!」と判断された側に人員を当てるようです。

私は初産ですが切迫早産だったため子宮口が開くのが早いようでした。

方や同志は4人目の出産とのこと!

私はこの「どっちが早く生まれるかレース」に敗れ、夫婦2人で分娩室に取り残されることとなったのです。

助産師さんはたまに様子を診に来てくれました。

初めてのお産で勝手がわからないため、こんなにも取り残された感を味わうとは思っていませんでした…

お産って、「いざ生まれる」ってなるまでは、スタッフさんがつきっきりってわけじゃないんですね。

定期的に陣痛が来ては、腰があまりにも痛いので横向きでいきみ逃しをします。

主人がテニスボールを当て、痛みを和らげてもらっていましたが「当てる場所、そこじゃねぇ。」と思いながら痛みと戦っていました。


8:00頃

吐き気と破水

急に猛烈な吐き気に襲われナースコールを押します。

吐いてもいいように器を準備してもらったところで、お腹から「バチン!」という音がし、水が流れるのを感じました。

破水したら、吐き気も嘘みたいに治まりました。

ここから陣痛の痛みが増したような気がします。

痛みを言葉で伝えるのは難しいですが、「今から帝王切開に変えてほしい。」と切実に思っていました。

そして、夫婦2人しかいない孤独感…

お隣の同志の出産が終わったら、スタッフさんもこちらに来てくれそうなので「お隣さん、早く生まれないかなぁ」なんてぼんやり考えていました。


9:00頃

「おめでとうございます!」

同志の赤ちゃんが無事に生まれたようでした。

産声と「おめでとうございます!」という声が聞こえてきます。

勝手に連帯感を感じていたので、我々夫婦も「よかったね」「生まれたね」なんて言って、ちょっと感動しちゃったりしていました。

「これで我々も構ってもらえるぞ!」と思ったのですが、待てど暮らせどスタッフさんは来てくれません

自分の出産が終わって気づいたのですが、赤ちゃんのケアも必要だし、産んだ後の母体の処置もしなけらばならないので、「こっち生まれたぞ、さあ次だ!」とはいかないもんなんですね。


10:00前

ラストスパート

わやわやとたくさんのスタッフさんが部屋に入って来てくれました。

やっと構ってもらえる!

医師が様子を診て「すぐ体位を取ろう」ということになりました。

「体位って何?」って思っていると、あっという間にM字開脚にされ、「あぁ、これか」となりました。


お産を経験して何が辛いかって「痛み」「いつまで続くかわからない」ことだと感じました。

この時も、「これはあといつまで続くんだ?」「登山で言うと何合目に居るんだ?」と、自分の立ち位置が分からない不安を感じていました。

しかし、天の声が聞こえます。

「もう、頭見えてますよ!」と。

そのセリフって、まさに生まれるときに言われるやつだよね!


10:30頃

終わった…

それから程なくして、とてつもない開放感を感じ、気づけば産まれていました。

知人が「出産とは超特大うんちをする感じ。」と言っていましたが、納得してしまいました。

初めて抱いた我が子は鼻ぺちゃだけど可愛くて、想像よりずっしり重く、色白肌で、天使のようでした。

産後の異変

出産当日

ご飯が食べれない

胎盤も出て、会陰切開の縫合も終わり、赤ちゃんとまったりしている頃にお昼ご飯の時間になりました。

最近流行りの食事の豪華な産院で、この日のメニューはおしゃれカレーでした。

普段の私だったら「ひゃっほう!!」と言ってがっついたはずですが、若干の吐き気気分の悪さ全く食べることが出来ませんでした。


それから暫くして義理のお母さんがシュークリームを持ってきてくれました。

まったく食欲がなかったのですが、「嫁の気遣い」が発動して断れず何とか1個食べきります。

あんなに美味しくないシュークリームは初めてでした。

普段ならとっても美味しく食べれる大好きなシュークリームなんですよ!


晩御飯もほとんど食べれませんでした。

食いしん坊の私にしては大変珍しく、「出産って大仕事だなぁ」なんて思ってました。


産後2〜3日目

やたら採血される

食事が取れるようになり、豪華なメニューを堪能しました。

尾てい骨に激痛は残るものの、他に異変は感じられませんでした。

産後の経過を診るために採血があったのですが、病院から渡されたスケジュール表より回数多いのでは?と疑問に思ってました。


産後4日目

実はHELLP症候群を発症していた

主治医が部屋お訪れ「血液検査の結果、出産時にHELLP症候群を発症していた可能性が高いです。」と告げられました。

HELLP(ヘルプ)症候群とは

妊娠後期または産褥期に
・溶血(hemolysis)
・肝酵素上昇(elevated liver enzymes)
・血小板減少(low platelet)
を呈し母体・胎児の生命を脅かす、重篤な妊産婦救急疾患である。
全妊娠の0.2~0.9%、重症妊娠高血圧腎症の10~20%に発症する。

唯一の治療は妊娠の終了であるため、HELLP症候群と認められた場合、妊娠週数と重症度を考慮した上で緊急帝王切開術を行う。

主治医曰く「出産時のモニタリングをして問題ないことは確認済みだけど、退院の時期は念のため血液検査をして決めましょう。」とのことでした。

ドラマ「コウノドリ」で離島の妊婦がヘリで運ばれてたやつだ!

HELLP症候群に対してそれぐらいの認識しかなかった私は、ネットリサーチ後肝を冷やしました。

これってかなりやばい状態だったのでは…

つまり、HELLP症候群を発症していたけれど、たまたま産気づいてたまたまスピード出産だったために難を逃れたということなのでは…

私の場合、妊娠高血圧症ではなかったので、全く予測されない状態から急に発症したことになります。

全妊婦の0.9%か…

くじ運悪い方なんだけど、とんでもないもの引いちゃったよ

もしもの話は有意義ではないけれど、「もし、陣痛が来ていなかった」「もし、難産だったら」と考えると、母子ともに無事に生きていることが奇跡のように思えました。


思い返すと以下の症状は、HELLP症候群が原因だったのではと思われます。

  • お腹の張りが治まらない
  • 高血圧
  • 吐き気

注:ど素人の見解です

その後

血液検査の結果、数値も安定し、予定通り退院できました。

私の体調は、尾てい骨痛が3ヵ月ほど続きましたが、他は抜け毛が多いとか、白髪が増えたとか、肌荒れがひどいとかそれぐらいです。

子も元気いっぱいに育っています。


今、振り返って思うことは「妊娠・出産って何が起こるかわからない!本当に!」ということです。

私の場合、まずなかなか妊娠できずに、2年に渡り不妊治療を受けました。

授かった後も、切迫早産で1ヵ月間入院します。

そして、運よく事なきを得ましたがHELLP症候群の発症…

「まさか、私が!」の連続でした。


出産前日の夜、ほんの些細な違和感ですが病院に問い合わせてよかったです。

全妊婦さんに伝えたい!

ちょっとでもいつもと違うと感じたら、とりあえず病院へ電話を!

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